軍艦島♯2

 

茶色の部分は海藻を混ぜた土で、こうすることで強度が増したそうです。

向こうに見えるのが端島小中学校。昭和33年に建てられる。エレベーターもあったそうですよ。

手前にある四角の形は、炭鉱を運ぶ為のベルトコンベアーの跡です。

堤防の内側を歩いていると、堤防の上で釣りをしている人を見ました。どうしてこんなことができるのか尋ねると釣りをする許可をもらうそうです。

桟橋への通路。途中立ち入り禁止の看板が。この通路は女性・子供達が通った地下通路です。

今から軍艦島を一周まわって帰港します。

 しかし、すごいな。

中央の建物は昭和20年に建てられた鉱員社宅。土地がないため屋上に幼稚園。

昭和11年・端島神社のほこら。

桟橋をあとにする。 軍艦島よ、さらばじゃ!

島の南西側より。灯台は閉山後、無人島になってしまったため明かりがなくなったので建てられた。

 崩れた寺のがれき。

良く見ると仏像が残っているそうですが、ここからは見えません。

 島の西側。

 北側。

左端の白い建物が小中学校。手前に見える3階建の建物は端島病院・隔離病棟。

一番左の2階建の建物、教員宿舎。他の建物すべて番号で呼ばれているのに、ここだけ ちどり荘 という名前がついています。なぜでしょうね。

船はだんだん遠退き、島が小さくなっていきます。この島には火葬場がありません。近くの島で火葬を行ったそうですよ。

炭鉱で栄えたこの島も、昭和49年エネルギー政策の影響を受けて閉山。島民は全国各地に散らばっていったそうです。

その後は、船内で軍艦島の活気あふれる時代の映像を見ました。写っている人が楽しそうに買い物をしているシーンや子供たちが楽しそうに児童公園で遊んでいるのをみて、何かとても不思議でした。さっき見た荒れた廃墟にこんな時代があったなんて…と。

以上 軍艦島でした。

“軍艦島♯2” への 1 件のフィードバック

  1. 近頃度々登場失礼いたします。
    ここ主人も私もずっと行きたかったんです。

    今は行けるんですね。私の知り合いのお父様がここで医師をしてらしたそうです。
    船内で当時の映像が見れるんですね。

    近いうちに長崎に行きたいな
    お引越し頑張ってくださいね

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